桃甫は
[東京美術学校]に学び確かなデッサン力を身につけている。しかし、台湾時代には、それを無視するかのように大胆な簡略化した
[フォーヴ]ィスム的な
[フォルム]を確立していった。本作品は、台湾から引き揚げた後宮崎市で制作したものである。
[フォーヴ]ィスムの影響は感じられるものの、桃甫のデッサン力の確かさを見ることのできる作品である。ここでは、彼の晩年の作に多く見られる太いりんかく線はほとんど使われず、陰影による立体的な表現が試みられている。色彩においては、桃甫が、生涯使い続けた赤と緑が効果的に配されている。うつむき加減の、清潔な感じの舞子の顔がりりしく、ういういしく描かれている。