刀工田中国広は、室町時代から江戸時代初期にかけて活躍した名刀工です。綾町の古屋で生まれ、代々続く刀鍛冶の家に育ちました。幼少の頃から鍛刀を好み、天正年間(1574~1592)に京都にのぼり埋忠明寿の門に学びました。その後、一代の巨匠となり信濃守に任ぜられ、江戸時代の新刀の祖といわれています。現在は、大正8年に建立された「鍛刀師國廣之史蹟地」の石碑と近くに父国昌夫婦の墓碑2基と、昭和45年建立の「刀匠国広顕彰碑」を残すのみです。国広の製作した名刀は神社に奉納されたものが多く、いずれも国の重要文化財となっています。