榎田関跡は、牧ノ原を経て肥後(熊本県)人吉に出る加久藤越えの登り口にあり、現在でも林の中に石垣や礎石が残されている。
正式には「求麻口(くまぐち)番所」といわれており、江戸時代に薩摩から肥後人吉の相良藩へ通じる球磨街道に置かれていた境目番所跡で薩摩藩内重要関所(9ヶ所)の一つに数えられていた。
番所には牧ノ原の郷士が2人ずつ1日交代で勤務し、人々や物資の通行に対して厳重な取締りを行っていた。天保8年(1837)頃には、番所役宅や定番住居が置かれるようになったが、明治維新でその役割を終えた。
※境目番所=本街道の藩境に置かれた関所。なお、薩摩藩では関所のことを番所と呼んでいた。"