狭野神楽は、毎年12月の第1土曜日から翌日にかけて、一連の神事とともに夜を徹して33番が舞われる。霧島山付近を含む南九州に残存する「霧島神舞系」の神楽は少なく、わずかに残るものでも番付が数番のみという状況の中で、狭野神楽は、祓川神楽と共に貴重な存在となっている。
狭野神楽の特徴は、「剱舞」が多く勇壮なことである。「踏剱(ふみつるぎ)」「花舞」など、稚児のように着飾った子供を含む剣舞は、修験の童子に関わる芸能の系譜を引くものと考えられ、県内でも際だった独自性をもつ。
この神楽の起源は不明であるが、明和4(1767)年の写本が残ることから、18世紀以前から伝承されてきたものであることが分かる。
さらに、中世の猿楽面の系譜を引く神楽面や、近世の神楽において猿楽である翁舞が演じられていたことを示す古文書の他、修験文書も残され、歴史的、宗教的、美術的に貴重な史料を有することも、この神楽の大きな特徴のひとつである。
このように、狭野神楽は神舞圏の軸をなす霧島神舞(神楽)であり、南九州を代表する神楽であることはもとより、神楽組織の形成過程を窺い知る資料や伝来品の豊富さからも重要である。