宮崎神宮の社殿群は、伊東忠太の設計により明治40(1907)年に造営されたもので、左右対称の配置と復古的で端正な社殿形式に特徴がある。中心となる神殿は、切妻造妻入で建ちが高く、軒の深い緩やかな屋根をつけるなど、安定感のある外観で神威を表している。
前面には、妻と軒筋に豕叉首(いのこさす)を用いた弊殿(へいでん)が渡廊を介して建ち、その東西には、同形式の御料屋と神饌所を配して、各々渡廊により弊殿と繋ぐ。また、この両者の背面から軽快な意匠の透間垣(すきまがき)を延ばして、神殿を半八角形に取り囲んでいる。弊殿の正面側には参道が延び、弊殿前面に建つ拝所は規模が大きく開放的で、立礼式の形式をもち、時代的な特徴を示す。参道正面の正門は堂々とした構えの四脚門で、そこから玉垣および石柵を廻らして外郭とし、森厳な社叢景観を引き締めている。
また全体を海鼠壁(なまこかべ)とする徴古館は、明治42(1909)年に宝物及び書籍、その他の物品を陳列する施設として建設されたもので、社殿造営を監督した佐々木岩次郎の作品である。