静岡県に生まれる。大正3年早稲田大学を中退し、渡米。その後ニューヨークの美術研究所に通う。大正12年メキシコに渡り、同14年サン・カルロス美術学校に学ぶ。翌年からトラルパム野外美術学校で、新しい児童美術教育を試みる。また
[リベーラ]、
[シケイロス]らと交友があった。昭和11年帰国。翌12年
[二科会]の会員に推挙され、昭和53年退会するまで毎年のように出品する。メキシコと関わりのある題材、社会で起きた事件、人々の働く姿などを油彩画や版画で制作した。昭和26年北川児童美術研究所を創設、翌27年
[久保貞次郎]や
[瑛九]らとともに
[創造美育協会]を設立。『絵を描く子供たち』などの著書もあり、戦後の美術教育に果たした役割は大きい。