高鍋町歴史総合資料館所蔵の豊臣秀吉朱印状及び徳川家康朱印状
( たかなべちょうれきしそうごうしりょうかんしょぞうのとよとみひでよししゅいんじょうおよびとくがわいえやすしゅいんじょう )
指定者 |
県 |
種別 |
有形文化財 |
指定年月日 |
H22.3.30 |
所在地 |
高鍋町大字南高鍋6937番地2(高鍋町歴史総合資料館) |
高鍋町歴史総合資料館所蔵の豊臣秀吉朱印状及び徳川家康朱印状は、近世期高鍋を領地とした大名秋月家に伝来した文書で、いずれも近世初頭に当主秋月種長に出されたものである。
天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州統一後、秋月種長は、秀吉によって筑前国秋月(現、福岡県朝倉市秋月)から日向国高鍋に移封され、その後、明治維新期まで同地を治めた。
豊臣秀吉朱印状は、高鍋に移封された際にあてがわれた所領を示す知行宛行目録や、朝鮮出兵に際しての感状、秀吉に贈った献上品の礼状など、豊臣政権とのかかわりを示すものであるが、県内に残る豊臣秀吉の朱印状は数が少ないため、貴重なものとなっている。そのうち「知行宛行目録」は、知行宛行状に添えられた目録で、支配する地域名や村名とその面積が記されている。大名の領域を示す重要な文書であるが、県内では本史料が、唯一の原文書である。また、朝鮮出兵にかかわる2通は、長期の在陣を強いられた九州の大名の辛労をうかがうことができる文書である。
一方、徳川家康朱印状は、端午の祝儀で贈った進物に対する種長宛ての礼状である。県内で確認されている家康の朱印状はこの1点だけである。
このように、これらの文書は、本県の近世初頭の歴史をうかがうことができる重要な史料である。
・(年未詳)十二月二十八日 豊臣秀吉朱印状 ・(年未詳)五月一日 豊臣秀吉朱印状
・(年未詳)九月十六日 豊臣秀吉朱印状 ・(慶長元年)卯月十六日 豊臣秀吉朱印状
・天正十五年七月三日 豊臣秀吉朱印状 ・天正十六年八月五日 豊臣秀吉知行宛行目録
・(年未詳)五月朔日 徳川家康朱印状