みそぎ池(正式名「御池」) ( みそぎいけ )
この場所は、古事記に「竺紫のヒムカの橘の小門の阿波岐原」と書かれた場所で、イザナキが黄泉の国から戻り、穢れを祓うために、禊ぎをした場所と伝わる。全国の神主さんが修祓の儀で唱える「祓え詞」に表現された場所である。この禊によりアマテラスなど三貴子が誕生した地でもある。
市民の森公園の東北角にあり、4月から10月まで睡蓮が黄色の花を咲かせ美しい。古代には、ここは砂丘と砂丘に挟まれた入り江であったが、取り残されて池になったと伝わる。池には御幣が立ち、神域を感じさせる。
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伝説の地 |
国生み・神生み伝説の地 |
所在地 |
宮崎市阿波岐原町 |
参考情報【1】 |
【「三瀬」はどこ?】
イザナキは黄泉の国から帰られて、「ひどく汚い所に行ってきた、この体の汚れを濯ごう」とされた。そして、「上の瀬は流れが速い、下の瀬は流れが弱い」と、中の瀬で禊ぎなされた」と書いてある。この上の瀬、下の瀬、中の瀬は宮崎のどこにあるのだろう。
日向見聞録には、古老の話として、三瀬の話がある。
「海原の三瀬・川原の三瀬と言われる。海原の三瀬とは、塩路村住吉大明神の沖を上の瀬と言い、江田村江田神社の沖を中の瀬と言い、下別府村の沖を下の瀬と言う。川原の三瀬とは、下北方村津賀瀬を上の瀬と言い、上別府村也奈義農瀬を中の瀬と言い、吉村の内、瀬頭の前伊和瀬を下の瀬と言う」
現在の「みそぎ池」は、入り江の中の瀬の話として伝わるが(ちなみに上の瀬は住吉、下の瀬は大淀川河口)、この話では、海の沖、または川の話となっているのが面白い。 |
参考情報【2】 |
【阿波岐原・檍原の地名】
檍原は、日本書紀第五段第六の一書の書き方である。この場所、筑紫の日向の小戸の橘の檍原で、イザナキが禊ぎをした場所と伝わる(小戸、橘の順序が古事記と違う)。古事記は「阿波岐原」と記すが、内容はほぼ同じである。
古来、大淀川の北の海岸地帯を総称する名称である。現在も、阿波岐原森林公園、阿波岐原町、檍小・中学校などの名称に使われている。 |