- Q宮崎では埴輪はたくさん見つかっているのですか?
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A
最近、いくつかの古墳の発掘調査で多くの埴輪が見つかっています。
宮崎と言えば古墳、古墳と言えば埴輪が連想されます。現に埴輪が宮崎を代表するおみやげ品のひとつになっていたり、平和台公園(宮崎市)の「はにわ園」に多くの観光客が訪れたりしています。しかし、おみやげ品や「はにわ園」の埴輪はその多くが関東地方の埴輪をモデルにしています。宮崎の埴輪には大正時代の発掘調査で西都原古墳群(西都市)から見つかった家形や舟形の埴輪など宮崎を代表する有名な埴輪もありますが、これまでは、ほとんどが人物の手や動物の足など埴輪の一部分や円筒埴輪が見つかる程度でした。しかし、最近の西都原古墳群や新田原古墳群(新富町)の発掘調査で多くの埴輪が発見されています。特に新田原古墳群からは十数体の人物埴輪をはじめ馬、鹿、鶏、家など形象埴輪が数多く発見されています。 - Q宮崎県で最も古い遺跡はどこですか?
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A
後牟田遺跡土層剥ぎ取り
現在確認されている遺跡の中で最も古いのは、川南町の後牟田遺跡です。この遺跡では今から3万年前から4万年前ごろと推測される地層から数点の石器が出土しています。
宮崎では県北の五ヶ瀬川流域や宮崎平野を中心に百数カ所で今から数十万年前から1万2千年前までの旧石器時代の遺跡が発見されています。その多くが姶良Tn火山灰(今から2万5千年前)層より上の地層から見つかった遺跡ですが、最近の発掘調査では一ツ瀬川や小丸川流域の河岸段丘上で姶良Tn火山灰層より下の地層から古い石器が見つかる事例が増えています。 - Q宮崎県には縄文時代や弥生時代の住居で珍しい形をしたものはありますか?
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A
花びらの形をした家が見つかっています。
一般的に縄文時代や弥生時代の竪穴住居は上から見た形が円形や方形をしています。ところが弥生時代後期から古墳時代初め(今から1800年から2000年前)の限られた時期に宮崎県と鹿児島県の一部に花びらの形の竪穴住居が分布しています。全国的に見ても珍しく南九州独特の竪穴住居と言えます。花びらの部分は土の壁で仕切られた小さな部屋になっており物置や作業場として使ったり時にはベッドにもしていたと思われます。 - Q宮崎県にはほかの地域では見られない古墳はありますか?
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A
地下式横穴墓ジオラマ
地下式横穴墓という南九州独特の古墳があります。
古墳時代の墓には前方後円墳や円墳のように土を盛って作られる高塚古墳や山の斜面に墓室を掘る横穴古墳が全国に広く分布しています。ところが5世紀後半から6世紀にかけて宮崎県の南部(一ツ瀬川や小丸川より南)を中心に鹿児島県大隅地方や熊本県人吉地方に地下に掘られた古墳が分布しています。地下式横穴墓と呼ばれる南九州独特の古墳です。地表から2mほど竪穴を掘りそれから横に掘り進み遺体をおさめる墓室(玄室)をつくります。天井は屋根形やドーム状をしています。遺体を埋葬したら墓室の入り口を石などで蓋をして竪穴を土で埋めてしまいます。その後も土で密閉されているため、調査時に玄室をあけると人骨や副葬品の鉄器や鏡などがとても残りの良い状態で発見されることも多くあります。 - Q宮崎を代表する土器を教えてください。
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A
「鳥」の絵が描かれた土器
「鳥」の絵が描かれた弥生時代の壺が有名です。
弥生土器の中には絵や記号が描かれた絵画土器があります。壺の表面に鹿や鳥などの動物をはじめ竜、人物、建物などを竹や木のヘラを使って描いた土器で弥生時代後期に近畿地方や瀬戸内地方に特に多く見られます。宮崎も近畿や瀬戸内に次ぐ発見例の多い地域です。「鳥」の絵が描かれた土器は佐土原町下那珂遺跡から出土した土器でつばさを広げた飛ぶ鳥が力強く描かれています。鳥のように見えますが竜ではないかという見方もあります。 - Q縄文土器と弥生土器はどう違うのですか?
作られた時代はどうでしょう? -
A
縄文土器は、今から1万2千年も前に作られはじめた素焼きの土器で、約1万年にもわたってつくられました。一方、弥生土器は約2400年前から約600年間つくられています。
- Q縄文土器と弥生土器はどう違うのですか?
作り方はどうでしょう? -
A
粘土を捏ねて、輪積法でつくられることは両者ともほとんど同じです。焼き方も両者とも野焼きといって特別な施設(窯など)を使わずに露天で焼かれています。
- Q縄文土器と弥生土器はどう違うのですか?
土器の形やもようはどうでしょう? -
A
縄文土器は、土器の表面に貝殻や棒でひっかいたような複雑な模様があり、土管のような寸胴形が多くみられます。これに対して弥生土器は、表面に模様をつけることが少なく、壺や高坏(たかつき)、器台(きだい)などの器の種類が多いのが特徴です。
- Q勾玉(まがたま)の形は何をモデルにしているのですか?
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A
勾玉の形は、独特の形をしていますね。ちょっと流れた水滴のようにも、涙のようにもみえますね。この形をみて、人間の胎児をモデルにしているのでは・・・という人もいます。
私たちは勾玉というと、古墳時代の典型的な勾玉をイメージしてしまいますが、縄文時代の古い勾玉を観察するとちょっと細長い形をしていることがわかります。勾玉のもともとの形は、どうやら動物の牙をイメージしたものと考えてよさそうです。 - Q「はにわ」は古墳のどの部分にあったのですか?
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A
「はにわ」を、古墳というお墓の中に遺体といっしょに埋められていたものと思っている人が案外多いものです。埴輪は、古墳という大きな墳墓のまわりや頂上に立て並べられたお墓の目印のようなもので、遺体と一緒に埋めるもの(副葬品)ではありません。
なかでも、動物や人物、家などの形象はにわは、古墳の部分でも一番重要な部分である後円部の頂上に整然と並べてあり、当時の生活のようすを知ることができます。