藤島は台湾に昭和7年頃より数回渡っており、
[塩月桃甫]が台湾美術展の審査員として招いたこともある。台南は、台湾の古都であり歴史的な建物が多い町である。聖廟(せいびょう)とは孔子をまつった建物である。この頃の藤島は風景画を多く描き
[タッチ]は大きく、物をできるだけ単純化してとらえようとしていた。描く場所もすっきりとした雄大な海や風景が多いが、この作品も聖廟の簡素であざやかな壁面を画面いっぱいに配置している。また、空の面積を極力狭くとり力強い豪快な
[タッチ]で描いている。藤島は、絵画は写実から抽象へ移っていくことが必然であると考えていた。簡素化された構図や大胆な
[タッチ]に作者の精神が反映されている。藤島66歳のときの作品である。