当社西方の小高い処は、ヒコホホデミノミコトの山陵と言う。日本書紀にある「ヒムカの高屋の山陵に葬る」とあるのは、当地であると伝わる。また景行天皇が六年間滞在された高屋行宮跡とも伝わ る。
「日向五郡八院舊元集」という書物には、「景行天皇が十二年十一月日向の国に到り行宮を起こしてここに居たまふ。これを高屋宮と言ふ。武内宿祢が、ヒコホホデミノミコトの山陵と知り、ここに御鎮座を定めた。これが村角高屋八幡宮である」と書かれている。山陵付近には、尊にちなむ地名が残っている。竹尊はミコトの御生誕の時、そのへその緒を切った竹刀を投げた所。安尊は御生誕の地と伝わる。