Photo by Kaz Kuroki
埋葬思想の独自性
~多様な墓制~
Unique burial concepts: Diversity of tomb systems
西都原46号墳
日本列島(北は青森・北海道、南は大隅半島以南を除く)には、16万基から20万基の古墳=盛り土の墳丘を持つ墳墓が築造された。円墳、方墳を基本形とするが、両者を合わせた前方後円墳は、世界的にも列島独自の墳形である。
一方、南九州(宮崎県・鹿児島県・熊本県南部)には、地域的な傾向を見せる前方後方墳・方墳は数基を数えるに過ぎず、それに対して、南九州の埋葬思想の独自性は、地下式横穴墓・板石積石室墓に象徴的に現れる。
前方後円墳の築造基数は、5,000基を超える、データのとらえ方は幾つかあるが、墳長100メートルを超えるものは300基程度、墳長120メートル以上は123基、墳長150メートル以上は75基、墳長200メートルは37基である。
墳長100メートル以上の前方後円墳が10基以上築造されたのは、関東の上野国(群馬県)、下総国(千葉県北部、茨城県の一部)、中国の吉備国(岡山県、広島県東部)、そして九州の日向国(宮崎県・鹿児島県)だけである。畿内へ圧倒的な集中が見られるが、ことに、吉備国と日向国での巨大古墳の築造は、畿内における巨大古墳の築造時期と重なり、畿内(ヤマト)王権の形成・拡大期と連動したものと評価される点に、両地域の重要な位置づけが示されている。
西都原206号墳(鬼の窟古墳)横穴式石室
一方、竪穴系の埋葬施設から横穴系の埋葬施設へと、東アジアの墳墓は大きくは変遷する。横穴系の埋葬施設は、中国大陸(塼槨墓)の影響下に、その波は朝鮮半島の高句麗から南下し百済・加耶、そして日本列島へと伝播した。4世紀後半から5世紀初頭に石積みの石室に現れ、北部九州において横口の石室を生み出し、横穴式石室へと整備され、5世紀は畿内も含み限定的な展開に留まるが、6世紀には列島各地で採用されるに至る。
同時に、南九州において誕生したのが横口の土坑(木棺)墓であり、それは地下式横穴墓の創出へとつながる。この南九州に起源する地中に空洞の埋葬空間(玄室)を穿つ墓制は、次に5世紀後半には山腹に空洞の玄室を穿つ横穴墓として、周防灘沿岸の北部九州に展開し、広く北は東北南部(宮城県北部)まで採用されていく。