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交差する歴史と神話みやざき発掘100年

前方後円墳
keyhole-shaped mounded tomb with round rear portion (zenpō kōen fun)

 前方後円墳は、3世紀後半頃に、近畿・瀬戸内地方を中心に出現し、東北南部(現在の宮城県)から九州南部(現在の鹿児島県)まで拡大した。
 宮崎県内において、前方後円墳は170基程度が確認されている。ただし、前方後円墳が確認されているのは県内全域ではなく、日向灘に面した海岸部を中心とし、内陸部は都城盆地北部に限られる。前方後円墳は、現在の自治体の延岡市・日向市・川南町・高鍋町・新富町・宮崎市・国富町・日南市・串間市・都城市に分布する。
 宮崎県内での最古級の前方後円墳は、西都原81号墳(西都市)や下屋敷古墳(新富町)、檍1号墳(宮崎市)などが挙げられ、古墳時代前期段階にあたる3世紀末~4世紀初頭頃には宮崎平野部を中心に築造が開始されたようである。古墳時代前期後半~中期初頭段階の4世紀中頃~5世紀初頭頃には、前方部が平行に細長く、平面形が柄鏡のような形状となる「柄鏡形前方後円墳」と称される南九州独自の前方後円墳形態が、生目・西都原・持田・川南など宮崎平野部の主要古墳群、及び大隅地方で出現する。

前方後円墳(西都原 100 号墳)

前方後円墳(西都原 100 号墳)

 古墳時代中期前半段階の5世紀前半頃は、国内最大の墳長486mの大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に代表されるように、百舌鳥・古市古墳群(大阪府)など旧国の河内・和泉地域を中心に巨大な前方後円墳が築かれる時期である。宮崎県内でも、その動向は連動したかのように、西都原古墳群において、日本最大規模の帆立貝形古墳の男狭穂塚(墳長176m)、九州最大規模の前方後円墳の女狭穂塚(墳長176m)が築かれる。
 古墳時代の九州地方において、巨大な古墳が数多く築かれるが、実は九州の墳長120mを超える大型古墳12基のうち、6基(菅原神社古墳[延岡市:120m]、持田1号墳[高鍋町:120m]、男狭穂塚[西都市:176m]、女狭穂塚[西都市:176m]、生目1号墳[宮崎市:130m]、生目3号墳[宮崎市:137m])は宮崎県に存在する。

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