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交差する歴史と神話みやざき発掘100年

地下式横穴墓・板石積石室墓
grave with subterranean burial chamber and horizontal side entrance (chikashiki yokoana bo)
grave with burial chamber built from stacked flagstones (itaishizumi sekishitsu bo)

地下式横穴墓

 古墳時代前期後半段階の4世紀末頃から古墳時代終末段階の7世紀代にかけての300年程の間に南九州東側に集中して分布する南九州特有の墓制である。宮崎県内では高鍋町以南で確認されている。

地下式横穴墓[島内 21 号(えびの市)](写真提供:えびの市教育委員会)

地下式横穴墓[島内 21 号(えびの市)]
(写真提供:えびの市教育委員会)

 地下式横穴墓は、地上から垂直に「竪坑」を掘り下げ、そこから水平に遺体を安置する「玄室」を掘り込む形態である。地下式横穴墓は、現段階では宮崎県内で950基以上が確認されているが、地中に残存しているため、未発見のものは多いと考えられ、正確な数は把握できない。
 かつて、地下式横穴墓は、南九州特有の墓制であったため、古代の熊襲・隼人などの歴史的記述と混同され、反中央的な集団が営んだ墓と誤解されていた。しかし、近年の発掘調査の成果から、生目古墳群の例などで見られるような汎列島的墓制ともいえる前方後円墳との共存や、多様な副葬品の数々から、近畿や瀬戸内地方、遠くは朝鮮半島や南西諸島との幅広い交流の実態が浮き彫りになってきている。

板石積石室墓(板石積石棺墓・地下式板石積石室墓)

 古墳時代前期後半段階の4世紀後半から古墳時代中期後半段階の5世紀後半頃にかけて、鹿児島県北西部からえびの・人吉盆地周辺地域を分布の中心とする地域に分布する南九州特有の墓制である。宮崎県内ではえびの市と都城市で20数例確認されている。

板石積石室墓[灰塚1号(えびの市)]

板石積石室墓[灰塚1号(えびの市)]

 板石積石室墓は、地上から円形や方形の「墓壙」を掘り、墓壙側面に板石を立て並べ、墓壙に遺骸と副葬品を安置し、その上に板石を穹隆状に並べ蓋をする形態である。研究者によっては、「板石積石室墓」「板石積石棺墓」「地下式板石積石室墓」と呼称が異なる。
 起源については、諸説あるが、弥生時代の箱式石棺を起源とする地域独自の墓制と考えられる。板石積石室墓は、現段階で前方後円墳と共伴する事例がないが、地下式横穴墓と同時期に共伴する事例がある。しかし、板石積石室墓は、畿内王権との密接な関係を物語る副葬品や、大きく傑出した首長などの存在は顕著に見出せず、弥生時代以降継続する地域社会の中で成立した墓制と言える。

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