高鍋城内にある舞鶴公園の一角に建設された歴史総合資料館。豊富な文化財展示のほかに、高鍋町の民俗資料や昔の農村生活様式などが紹介されています
高鍋藩秋月家の居城。別名舞鶴城。
古くは財部城といい、豊臣秀吉による九州統一後、筑前(福岡県)から秋月氏が移封する。その後改修が行われ、近世城郭として改修が終えたのは、3代藩主種信の頃である。
高鍋藩の家老である黒水家の武家屋敷。
旧豊後街道沿いに建ち、参勤交代時の高鍋藩主本陣として利用されていた。薩摩藩の島津久光も宿泊していたほか、西南戦争の際には、有栖川宮熾仁親王が休息のため立ち寄られたとされている。※内部非公開。
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江戸時代には高鍋の蚊口港とともに高鍋藩の商業港として栄えた。また高台には御仮屋跡(高鍋藩主の宿泊または休憩所として利用された施設)があり、この港を参勤交代で利用していた。
廻船業を営んでいた河野家が安政2年(1855)に建てたの商家。
旧高鍋屋旅館は、三輪家によって営まれていた旅館である。屋号が示すとおり、高鍋藩とのかかわりが深く、旅館の敷地内には御仮屋跡があったとされている。現在、日向細島みなと資料館として公開されている。
名貫川の上流に点在する30余りの滝のなかで「矢研の滝」は尾鈴山瀑布群を代表する滝であり、日本の滝100選にも選ばれている。高鍋藩の秋月種樹がこの滝をみて「神壮」の二文字を揮毫したといわれている。
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