木崎原合戦で島津軍勝利の一因をつくった光厳上人の墓がある。
島津義弘の正室・広瀬氏の居城跡。木崎原合戦の前哨戦が行われたところである。
8歳で亡くなった島津義弘の長男鶴寿丸の墓。
えびの市文化の杜にある歴史民俗資料館。古墳時代の地下式横穴墓から出土した考古資料や島津家関連の歴史資料、民俗資料を展示・収蔵されている。
島津氏と伊東氏が日向の覇権を目指し、激突した合戦跡(木崎原の合戦)。この戦いに大敗した伊東氏は豊後国の大友宗麟を頼って豊後落ちをすることになる。
島津義弘の居城。元和元年(1615)に廃城。
木崎原の合戦で敗れた伊東軍が島津軍から追撃を受けた場所。この戦いで伊東氏の家臣柚木崎丹後守等が討ち取られた。
木崎原の合戦で討ち取られた伊東氏の家臣米良重方の居城。
伊東四十八城の一つ。木崎原の合戦で敗れ、豊後落ちをする伊東義祐の居城。
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大友宗麟との戦い(高城・耳川の合戦)時の島津氏の拠点(山田有信が城主)。
高千穂町に所在する龍泉寺は大友宗麟の日向侵攻時に焼け払われたが、地蔵尊等の仏像は焼け残ったため大友氏もこれを恐れ、以来火防地蔵として広く尊信されている。
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