郷校「明教堂」の跡地に建設された歴史資料館。安井息軒関連資料をはじめ、考古資料や歴史資料などが展示されている。
宮崎市清武町の黒坂観音堂境内にある五輪塔は、黒坂観音堂の南東にあった勢田寺(せたじ)から、明治のはじめにこの地に移されたと伝えられている。また五輪塔の奥には、宮崎学園都市建設に伴い発掘調査された石塔群(山内石塔群)が移設保存されている。なお黒坂観音堂の仁王像は宮崎市指定有形文化財である。
関所跡。飫肥藩主の参勤交代や清武巡村の際の休憩場
※見学時間:徒歩2時間程度
明治2年(1869)に知藩事に任命された14代藩主伊東祐帰が飫肥城内より移り住んだ屋敷。
飫肥藩伊東家の居城。城内には藩主の邸宅再現した「松尾の丸」や伊東家ゆかりの資料が収蔵・展示されている「飫肥城歴史資料館」などがある。
飫肥藩の藩校。安井滄洲・息軒父子を招き、教導にあたらせた。小倉処平や小村寿太郎など多くの優秀な人材を輩出した。
飫肥藩の上級武士であった伊東伝左右衛門の屋敷跡。
明治40年代に豪商山本猪平が隣接する小村寿太郎生家の土地の一部を買い取り、建設したもの。
明治3年(1870)に山産物商山本五平が建てたもので、現在は商家資料館となっている。